きせんについて

きせんについて

女将のごあいさつ

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ようこそ、「きせん」WEBサイトにおいでくださいまして誠にありがとうございます。

旅館「きせん」は、茨城県南部、龍ケ崎市の旧水戸街道沿い、下町の一角にございます。昭和26年頃からはじめた結婚式場と旅館業により、親しい方々の集いの場として長年ご活用いただいております。

私どもの手元に、初代女将・豊島経(つね)が綴った手記『人生の花』がございます。頁を繰って行きますと、商いの喜びや苦労、日々のあれこれ、家族の成長ぶりとともに「きせん」の歩みが見えてまいります。

昭和49年には「きせん」での結婚披露宴は年間200件ございました。幾多の門出に際しお手伝いをさせていただきましたことが懐かしく嬉しく思い出されます。やがてお子さまの誕生や七五三祝いで「きせん」をご利用いただきご家族の皆さまの笑顔をお迎えできる喜びがふたたび、みたびと重なりました。

のちに披露宴や七五三祝いが減りましたことは少々寂しく思われますが近ごろは学生さんのスポーツ合宿や会社の研修、忘年会、歓送迎会、長期ビジネスのご宿泊などにご利用いただいた方々の評判もよく、日々の励みになっております。

今後も皆さまの笑顔が集う場として「きせん」をご利用いただけますようお願い申し上げます。

最新の設備ではございませんが、懐かしい和風旅館の趣きあるお部屋でお寛ぎいただき、自慢の県産米と地元食材をいかしたお料理、おもてなしをお楽しみくださいませ。

皆さまのお越しを、従業員一同心よりお待ち申し上げております。

女将 豊島由美子

「きせん」の歩みと龍ケ崎今昔

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昭和初期、初代・豊島忠吉が起業した豊島商店が「きせん」のはじまりです。当初は花火と氷を扱い、戦時中は配給制度のもとで営業、同時に魚屋も開業いたしました。初代女将・豊島経の手記『人生の花』を繰りますと、戦後すぐに飲食店、魚屋、氷屋と事業を拡大、お客さまにご満足いただけるよう設備を整え、地域雇用の創出をはかっていた様子がうかがわれます。
 古くから稲作農業が発達し県内有数の米どころ龍ケ崎地方。五石豊穣を願う日本古来の農村行事は地域共同体の親睦を深め、商業都市としての発展につれ、さまざまな集いの場が求められるようになります。昭和40年代の流通経済大学開設を機に龍ケ崎市は学園都市へと発展、さらに昭和50年代に始まった竜ヶ崎ニュータウン造成により、東京の一大ベッドタウンとなりました。

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 地域に密着した「集いの場」として「きせん」は、このような戦後の龍ケ崎の発展と変遷とともに歩んでまいりました。結婚式場と旅館業をはじめましたのは昭和26年頃。「仙人も喜ぶ宿」という意味を込め「きせん」と名づけました。正式には三つの「七」で成り立つ「喜」の略字を用いております。徳利を片手にしたタヌキのキャラクターは初代が考案しました。タオルや食器にあしらわれたタヌキは「きせん」のトレードマークとして親しまれております。
 平成9年には2代目・豊島忠雄を代表とした『株式会社 喜仙』を設立、現在は3代目・豊島正寛が代表をつとめております。

お客さまの笑顔に会える喜びがあります

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「きせん」ではお客さまのニーズに合わせた、家庭的なサービスをこころがけております。おかげさまでリピーターの方が多く、何度も拝見するお客さまの笑顔がたいへん励みになります。
 ビジネスのご利用で1ヶ月以上連泊のお客さまもいらっしゃいますので、献立に工夫を凝らし、栄養満点のお料理をお出ししています。地元で採れる旬の食材の評判も良く、とくにごはんがおいしいというお声が多く聞かれます。お花見、夏祭り、紅葉狩り、たつのこスタジアムやたつのこアリーナでのスポーツ観戦などにもお気軽に「きせん」をご利用くださいませ。

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